Egg

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Egg・卵・玉子・タマゴ・たまご
今の気分は「たまご」だな。

タマゴをタマゴとして捉えること・・・


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今週、お友達のサイトにて村上春樹のエルサレムでのスピーチ内容が紹介されているのを
読んでから、ずっとキモチの中で澱のように引っかかっていたのですが・・・


言葉を織り成すという行為は、いったいどういう行為なのだろうか?
そして、心を打つ言葉とは、いったいどこから導かれるのだろうか?



ということ。

当然、言葉という符号を使いながら、相手に自分の頭の中でイメージされたものを
伝えていくということは、正確に、誤解無く使う・・・とうことは基本中の基本であろうが、
その上で、その言葉の持つ意味や、その言葉の持つイメージを自分の中に確実に
構築し、またその言葉同士を織り成すことで生まれる新たなイメージを踏まえた上で
なされるべき・・・なのだろうと思う。

とはいえ、この「言葉の持つイメージ」は、恐らく万人が万人の経験を
バックグラウンドにした個別のイメージを持っている。
そうした中で言葉という道具を使い、我々は「会話」というコミュニケーションを取っているのだが、
本当に誤解無く、確実にその思いを誰かと共有することは可能なのだろうか?
よく「真に他人と分かり合えることなんてあり得ない」という言葉を目にすることが
あるが、その気持ちは理解できなくはない。自分も若かりし頃は常にそうした思いに
囚われていたようにも思う。
また、そうした不安があるからこそ、人は笑い・泣き・叫びそして触れあうのだろうとも思う。


そんな中で、村上春樹の発した言葉が多くの人々に響く様を見るにつれ、
「彼の発する言葉は、“何か”が違っているのか?」
ということが、ずっと喉に刺さった小骨のように、心に引っかかっている。

また翻って、自分自身が発する言葉は、その“何か”を伝えることが出来ているのだろうか・・・と。



ふと、かつて「“普通”って何?」と問われて何も言えなかった高校生の自分を思い出す。
確かに、今なら答えられるとは思う。
でも、その返すであろう言葉で、その彼女が伝えたかった“何か”を受け止め、自分が伝えたい
“何か”を返すことができるのか・・・未だに自信がない。



そして、今、その言葉さえも自由に操れない中において、どう自分の想いを伝えるのか。
もどかしさのみが募る。
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by hir2_photo | 2009-02-22 00:04
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