An apple

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最近、どーにも気になっていることがありまして・・・。
お得意の“ぶつぶつつぶやいて”みようかと・・・w

ちなみにこれは「りんご」ですw
え??そんなことわかってるって??w


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最近気になっていることは、【わかる】ということは、いったいどういう状態を指すのか?
ということ。

一方で、「わかった気になる」というのは、なんだかとっても、受け入れ易い表現のように
思えます。
おそらく自分にとって、この“境界の曖昧さ”を持つ表現が、わかる・わからないの双方を
確たる状態におかずに済むが故に、単純に安心できるというところかとも・・・。


なぜこんなことが気になり出したか・・・というと、もうすぐ村上春樹の新刊が出るという
情報を目にして以来、過去の彼の作品を何冊か読み返しているのですが、
その際に感じる・・・
「圧倒的なまでのわからなさ」
があるのです。

実は、こうした彼の作品たちを過去に読んだときには、「わかった」気になれていたのです。
にも関わらず、何が「わからなく」なってしまったのか?
なぜ「わかった」気になっていたのか?
本当に「わかって」いたのか?
何を「わかって」いた気になっていたのか?
「わかる」とはいったい何?
等々・・・こうしたまるで呪縛のようなものから、どうにも逃れられなくなっているのです。


また同時に考えることは、こうした“境界の曖昧さを受け入れられなくなっていること”
このことが、“年をとる”というような表現であらわされる、思考の柔軟性を失いつつある
ことと関係しているのか?という現在の自分を省みる視点。
また逆に、当時は若かったこともあり、なんの根拠も無く自分の考えに自信が持てて
いたことから、その自分のひいた境界線の中で「わかった」気になれていたのか?
という過去の自分を省みる視点。
こうした2つの視点が絡み合って、いったい自分の中で、何が変わり、何が変わっていないのか?
その結果、なぜもっとも気に入っていた「村上春樹の世界」がわからなくなってしまっている
(しまいつつある)のか?がどうにも気になってしょうがないのです。

そして、その混乱の根源である
「わかった気になっていたこと」とはいったい何だったのか?
それは「本当にわかっていた」ことなのか?
「わかる」ってなに?
ってなサイクルに嵌る・・・というところ。

現在の自分を振り返ると、(特に仕事の場面においては)いい加減なことを言わないように
その「わかっていること」と「わからないこと」の境界線をなるべくきちんと引くように
意識している・・・また、そうした思考パターンが徐々に自分の中にも確立しつつあることを
自覚しています。
とはいえ、これは「知識として」知っている・知っていないの世界がベースにあります。
なので、これは簡単な話なのです。

しかし、こうした仕事の上での癖のようなものが、何か自分の思考の柔軟性さえも失わせて
しまっていないのか?ということを危惧してみたり、一方で、そんな知ってる知らないの
曖昧さの排除と、思考の柔軟性とはなんら関係などないのではないか?という、これまた
堂々巡りに入る・・・という感じです。


若ければw、こうしたことを、友人たちと青臭く議論してみたいところではありますが、
いまや残念ながらそんな相手もおらずw、一人悶々としている・・・といったところでしたw


「know,see,understand,recognize...」様々英語には表現がありますが、
日本語の「わかる」という言葉のもつ曖昧さに嵌っているだけなのでしょうか?
それとも、村上春樹の世界は「感じれば」良いのでしょうか?
はたまたこれが「わからない」自分は単に趣味が変わっただけ??
眠れない日々が続きそうです・・・。


ってことで、おやすみなさいw
(↑そんなこと関係なく、ぐっすり寝てますので、ご心配なくww)


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by hir2_photo | 2009-05-06 10:32
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